おっさん3人の 安平路山
11月1日 大平宿先 12:40-摺古木休憩舎15:00
11月2日 摺古木休憩舎4:50-安平路山10:00-下山16:45
安平路山(あんぺいじやま)。
人に話すと、「なにそれ?どこ?」という怪訝な表情をされる。そして、「長丁場、藪漕ぎ、展望無し」など伝えようものなら、その斜め目線が益々懐疑的になるのである。
しかし長大な中央アルプスが、木曽駒、宝剣から空木、南駒、越百、さらに2000m以上の高度を連ね、この安平路と摺古木山をもって最後の気を吐き、そしてかつては木曽谷と伊那谷を結ぶ要衝となった大平宿をもって終焉する、その大山脈のいわばラスボス的存在なのである。
この篤志家向きの計画に、今回のおっさん3人は粛々と臨む。その面々は縦走のトップランナーK氏、最高齢チャレンジかもしれない事務局次長S氏、そして私である。
大平宿から本来その先のゲートまで車で入れるガタガタの林道は、予期しなかった途中の倒木で塞がれる。戻って途中からのスタートとなる。

おっさん達の荷物は重い。宿泊道具に2日分の水も持つ。但しウイスキーのボトルやよくわからない個人装備など、必ずしも効率だけを追わないおっさんのスタイルがある。

おっさんでも紅葉の美しさには歓声を上げる。ただ「おおう!」「ぐわっ!」となどその発声は美しいわけではない。そして予報が良いはずの天気は徐々に下り坂、そして雨。

本日の宿、摺古木休憩舎に着く。おっさん達の宴会も楽しい。K氏の来春の巡礼計画、S氏の群馬百名山登頂など、貴重な話は絶えない。
年齢を重なるにつれてアルコール依存度が高まるというデータがある。このおっさん達は当てはまるようである。
(おっさんは記録保持が苦手である。宴会時の画像は取り忘れていた)

この小屋にに珍しく登山者で満杯になる。みなおっさん達である。
おっさんの眠りは浅い。何となく起き予定より30分近く遅れつつも未明に出発する。
ヘッドランプを灯しての登りが一時間以上続く。湿度の感じ方から天気は良くないようだ。
明るくなって摺古木山頂上に着く。ガスで見通しはきかない。

この先は藪漕ぎの道となる。ここでやおらK氏が「藪漕ぎはオレに任せろ!」の如く、急に先頭に立ち先へ進もうとする。そのハッスルぶりに、さすが!とラッキー!が交錯しつつ先頭をお任せする。

トレースのある藪漕ぎと侮ってはいけない。笹の下に隠れた倒木、岩の段差など、瞬発力や適応力の劣化したおっさん達に容赦なく襲い掛かり、そして見事に引っかかる。さらに雨粒と夜露で雨具はびしょ濡れである。

おっさん達は無言で進む。途中の白ビソ山にて。

藪の海に漂うように進んだ先に、安平路の小屋とピークが一瞬だけ見えた。

そこから頂上への登りが意外に遠い。霧氷も現れやけに寒く感じる。ほとんど展望がきかないうえに、ガスの切れ間でたまに見える御嶽や恵那山もすでに雪化粧している。

そして頂上。なにも無い。なにも見えない。

おっさん達は淡々と往路を戻るのである。下りの藪漕ぎは疲れとともにヨレヨレである。

摺古木山は帰りも何も見えなかった。

そして昨晩お世話になった小屋まで戻ってきた。ここで再びパッキングしてさらに林道を歩く。

おっさん達は疲れていてもペース配分はきちんと計算している。決して急がず、そして遅れず。予定していた下山時間とほぼ同じ時刻に到着する。
S氏のご年齢でこの長丁場を歩き切る体力気力に脱帽。K氏は最後まで元気でもう1往復できそうな様子にさえ見えた。
安平路山 渋い山行であった。
こんな長丁場でなくても、道も整備され、展望もきく手前の摺古木山が200名山でよいのではないか。などと決して言ってはいけない。
今後、何かの間違いでも起こらない限り2度目はないだろうと内心思いながら、山高きが故に貴からず、百名山だけが名山にあらずと思うのであれば、一度は来るべきいぶし銀の輝きを放つ、思い出深い山旅となった。
(終)
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【おっさん達の荷物は重い。宿泊道具に2日分の水も持つ。但しウイスキーのボトルやよくわからない個人装備など、必ずしも効率だけを追わないおっさんのスタイルがある。】
ここで盛大に吹きました